大晦日に向かって年内に今日と明日、
これをやれてよかったとつくづく感じてます。
親が居ても居なくても
捨てられた子の悲しみは細胞が刻んでいて、
感情も苦しさも突き放されたその何かは、
その後の在り方に強く反映しています。
大事なのはptsd含めたそれらを完全にフラットにすること
歯を食いしばって形をやってきても、
そこを日々アプローチしないと結果はダサ過ぎて
脱ぐ時にはどうなることやら。
この命というもの自分授かり体験をして
その本質をやらなかったら、
後悔と不毛しか残らないのね。
欲でまかれ(体がなってない上ずった体型と使い方、これ象徴的)
私もね、20代で改めました。
媚と色気は品が無いとね。
(そうじゃないと男性社会のこの世の中、翻弄、お病気、とっても不幸に)
何回も指摘され、
生き方や考え方もアナログて変える努力を重ねてね。
素直であること
謙虚であること
これ
私もちゃんとやろうと思います。
外側に出している意識では、
それらとは全く逆になる。
20歳までの私の歌はもちろん、そう。
それで大学で首席を取ったものだから、
そうじゃないことを、榎本玲子先生のレッスンで完全に声を取られた時のプライドやら何やらの喪失は、私にとって、完全なる財産でした。
その後の同じくピアノでの体験が数年前にあり、
どれ程ありがたかったことか。
膝が立たないってああいうことを言うんだな、
本物の挫折は新たな希望なのね。
くされたり恨み寂しさでベクトルが違う方に向くとろくでもない。
大損します。
クラシック、エンタメではなく芸術です。